ネット記事で気になるタイトルが。
『学校の授業が嫌いになったり、苦手になったりしたきっかけは?』というもの。
そういえば、僕もそんな科目があったな〜と懐かしくなる。
今日は学校での嫌いな授業をテーマに書いていこう!
苦手な科目
僕の嫌い・苦手な教科は国語と英語。
完全に理系だった毒はどうしても文系科目が苦手だった。
漢字とか英単語とか、暗記する分には良いのだけど、なんせ文法やら作者の意図を読み解くとか、そういうのがどうしても苦手。
塾通いしていた頃の定期テストの国語、英語はまあ悲惨。とても見せられたものではありません。
学校のテストはテスト範囲が決まっていたり、課題プリントからそのまま抜粋されて出ることが多かったので、それさえやっていれば良かったですが、塾のテストはそうはいきません。
もう読み始めた時点で、なんやこれ、なに言っているかわかんない状態笑
選択問題は勘で選んで、記述問題はもう自分でもなに書いているかわからない状態…。
理科、社会、数学は得意だったから、その3教科で国語、英語をリカバリーしてトータル平均並みという感じ笑
国語と英語も同じように点数が取れていたら、きっと進路も変わっていたのかな。
嫌いな授業と理由
今回のネット記事の『学校の授業が嫌いになったり、苦手になったりしたきっかけは?』というもの。
さっき僕が書いたのは苦手な科目。
そう苦手と嫌いは似ているようで全く別のものです。
苦手は単純に科目として理解するのが難しいもの。嫌いは科目というより、授業そのものがというイメージです。
僕は嫌いな科目は英語と一部の体育の授業。
英語が嫌いな理由
英語は苦手かつ嫌いでした笑
英語を嫌いになった理由は先生です。中1の最初の英語の授業をきっかけに英語を嫌いになりました。
女性のまだ20代半ばほどの先生。
普段は優しいのですが英語の授業になると厳しく、連帯責任を感じさせる授業スタルが苦手でした。
スポーツや乗り物、動物などが書いてあるイラストを順々に見せていき、それを英単語で答えるというもの。
内容自体は簡単で、苦労するほどでもないですが、嫌なのはそのやり方。
前の席の方から、順番に答えていくのですが、答えられない人がいるとまた最初からになるというもの。
答えられなかった人はすごい責任を感じてしまいます。
中1の最初の授業のときなんて、まだ友達の関係性も薄く、クラス全体がまだ馴染めていないころ。
そんなときに、この連帯責任感が生まれる授業の空気感はすごいものでした。どんよりです…。
さらに良くないのが、先生も明るく振る舞えばいいのに、ミスが続くと明らかに苛ついてくるのです。
眉間にしわが寄りまくりです笑
これが英語の最初のころの授業。クラス全体が英語の前はあー、嫌だな〜とういう空気感でした。
この授業依頼、どうしても僕は英語が好きになれず、嫌いでそして苦手でした。
体育が嫌いな理由
次に嫌いな授業は一部の体育の授業です。
主にチーム競技が嫌いでした。
体を動かすのは好きで、スポーツもやるのも見るのも好きですが、チーム競技はどうしても嫌でした。
運動神経があまり良くないことや球技が苦手なこともあり、チームでやると自分が足手まといになるからです。
またクラスでは小中高と陰キャポジション。
陰キャがミスすると、まあ空気は酷いものです。晒し者感があります。
ただ今思えば、本当はそんな空気では無く、周りのみんなはなんとも思ってなかったと思いますが、勝手に自分がそう思い込んでいたのかも知れません。
ただ学生時代はその感覚が抜けずに、チーム競技の際はなるべく目立たないようにして、存在を消していました。
これではチーム競技が好きになれず、どうしても嫌いでした。
苦手なことこそ
苦手という言葉でふと思い出したことがあります。
それはイチロー選手が苦手なことと得意なことどっちを伸ばす方が良いと思いますかという質問を受けたこと。
答えは苦手なこと。
得意なこと、苦手なことどちらを伸ばしてもいいと思うとしながらも、苦手なことにチャレンジしていくというマインドが大事と話していました。
苦手なことはスポーツに限らず、生きていればたくさんあります。
ただ苦手なことから逃げていると、逃げぐせが付いてしまうと。
確かにその通りです。僕は絶賛苦手なことから避けている人生です。逃げ癖がついています…
苦手なことにチャレンジするってすごく大変なことです。ストレス半端ないです。
でもそこから逃げないというマインドは人生においてすごく大切な事かもしれません。
僕も出来る範囲で苦手なことにチャレンジしていこうかな…。
まずは食べ物から?しいたけは絶対ムリだけど笑
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