今回は古市憲寿さんの奈落を読んでみました。
なかなかに重いテーマでした。
あらすじ
17年前の夏、人気絶頂のミュージシャン・香織はステージから落ち、すべてを失った。
残ったのは、どこも動かない身体と鮮明な意識、そして大嫌いな家族だけ。それでも彼女を生かすのは、壮絶な怒りか、光のような記憶か、溢れ出る音楽か――。
生の根源と家族の在り方を問い、苛烈な孤独の底から見上げる景色を描き切った飛翔作。
新潮社
主人公は意識はハッキリあるものの、意思疎通が不可能、体を動かすことが出来ない状態で過ごしていきます。
主人公の内心を中心に物語は進み、合間に家族や友人の心境が垣間見える構成となっています。
内容について
奈落を読み終えてまず感じたことは、この世の地獄とはこういうことを言うのかも知れないとうこと。
華やかな芸能人生から事故をきっかけにどんどんと奈落の底に落ちていく。
ここまで来てまだ落ちていくのかと思うほどの徹底ぶり。恐ろしいです。
人は生きていく中で、様々な困難や局面にぶち当たります。
それに対して逃げること戦うこと、そんな選択肢が自然とあります。
ただ主人公の香織にはその選択肢すらもないのです。
何も身動きが取れず、意思疎通が出来ない、ハッキリとした意識はあるのに。
そんな状態で襲いかかる多くの障害。家族からの卑劣な扱い、好きだった人の変化。
全てから逃げることも戦うことも出来ず、すべてを受け入れるしかない状況。まさに地獄です。
最後の最後には本当に絶望に叩きつけるような出来事があり、物語は終わりを迎えていきます。
いわゆるバッドエンド的な終わり方で、タイトルの【奈落】にふさわしい内容となっています。
読み終えて感じたこと
この本を読んでいく中で、常に僕の頭の中にある出来事が思い浮かんでいました。
それは5年程前に訪問看護でリハビリをしていた頃の話。
僕はある患者を受け持っていました。疾患はALS。
日本語では筋萎縮性側索硬化症といいます。難病です。
神経の病気で全身筋肉が徐々に動かなくなる病気で、最初は力の入りにくさから始まり、最後は呼吸筋までも動かなくなり、自発呼吸が出来なくなります。
呼吸筋が動かなくなる前が、患者・家族にとって一番大事なことを選択することになります。
それは気切切開をしカニューレを付け、人工呼吸器で生きていくか、死を選ぶかです。
僕が担当した患者さんはすでに人工呼吸器を付けていました。
ただ最初の頃は自発呼吸も見られており、補助的な意味合いでの人工呼吸器でした。
表情筋も動き、笑顔や少しの会話などは無理なく行うことが出来ていました。
当時から手のポジションなどすごく気にされることがありました。この奈落の主人公の香織もそうであったように、自分では動かせないため、少しでも気になることがあれば直してほしいのです。
痒いところをこまめに聞いたり、腕周りや足周りをマッサージなどしていました。
そして、日数が経つに連れ、徐々に表情筋も動かなくなり、眼球運動のみだけになりました。
視線で文字盤を見ながら瞬きで意思疎通は行えましたが、2文字、3文字程度が限界で、それ以上は上手くコントロールできない状態でした。
その1年後には完全に眼球運動も難しくなり、意思疎通が困難となりました。
ただそんな中でもリハビリの時間にはリクライニング車椅子に移乗し、外に散歩に出かけたり、子供さんの結婚式に参加したり、生まれた初孫をお腹に乗せたり、そんな時間がありました。
そのとき、僕は患者さんが選んだ人工呼吸器を付けて生きていく人生はきっと間違いではなかったと思っていました。
なぜなら、生きていたから子供さんの結婚式に参加できたり、赤ちゃんに会うことが出来たから。
でもそれは本当はどうだったのか、わからない。
この奈落を読んで感じたことは、患者さんは本当はどうして欲しかったのだろう、本当は何がしたかったんだろうということ。
実はこっち側は生きててよかったと思っているだけで、本当は絶望の中に居たのかもしれない。
僕達は主人公の家族側だったのかも知れないということ。
その真相は知ることは出来ませんが、奈落を読んでそう思えたのです。
人にとっての本当の絶望とは何なのか、そんなことを考えさせてくれる作品でした。
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